作品/資料詳細
芳春院消息
ほうしゅんいんしょうそく 芳春院(1547~1617)は前田利家の夫人で、名はまつ。利家との間に2男9女をもうけ、利家死去後、剃髪し芳春院を名乗る。関ヶ原の合戦直前に人質として江戸に下り、以後15年にわたる人質生活を送る。長男である加賀藩主家2代当主・利長の死去後金沢に戻り、その3年後の元和3年(1617)71歳で亡くなった。
当資料は、次男・利政の嫡男で自身の孫にあたる直之の乳母に宛てた消息消息である。消息とは、仮名で書かれた書状のことである。「ほう(=坊)」つまり後の直之の病気を心配し、その乳母に病状を問い合わせたもので、「とくをくい申し候ゆへと思いまいらせ候」(毒を食べたのではないのか)などと述べている。直之は前田土佐守家の2代当主で、芳春院唯一の直系男孫である。直之を可愛がる芳春院の思いがうかがえる。
藩祖利家の九女・保智の名が出てくるため、この書状は慶長19年(1614)6月以前のもの。芳春院は江戸にいた。
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文化財指定石川県指定文化財
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カテゴリー
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作者〔差出〕はう(芳春院)→〔宛先〕ほうがうば(坊が乳母)
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製作/発行-
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年代9日
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区分古文書
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寸法掛幅装
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数量1
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備考自筆。慶長11年(1604)~19年(1614)の書と推定される。
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所蔵館前田土佐守家資料館
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資料ID315
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芳春院消息
[所蔵館] 前田土佐守家資料館
[作者] 〔差出〕はう(芳春院)→〔宛先〕ほうがうば(坊が乳母)
[カテゴリー] 歴史
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